大賀道場
大賀さんという素朴な外見とは裏腹にメチャクチャ強い先生の下、ブラジリアン柔術を習っています。
・8/20『柔術パラダイスカフェ』←行きます。
1993年に大学の柔道部がつらくて逃げ出してしまい、その反動で人の10倍くらい格闘技的なものに遠ざかるようになりました。
1993年といえば第1回アルティメットファイティングチャンピオンシップ(UFC)がアメリカのコロラド州デンバーで開催され、無名のホイスグレイシーが並みいる強豪にほとんどなにもさせずにタップさせまくり、まったくの無傷で優勝し、格闘技界にセンセーションを巻き起こした年です。
自分はといえば“人の10倍”格闘技から遠ざかっていたため、そのあたりの動きをほとんどしらないままであり、時は一気に2000年までジャンプします。
2000年のGWになにげなくTVを見ていたら、桜庭和志なる人とホイスグレイシーの試合がちょうど流れていました。
ものすごく久しぶりに格闘技チックなものを見ると、どうも殴っても蹴っても投げても締めても何でもやってよい的なルールということが理解できてきました。
柔道着(柔術着だったのですが)を着た、細身のホイスグレイシーの闘いっぷりに衝撃を受けました。
今からすると、「なんでもやっていい」というルール(バーリトゥード≒総合格闘技)で、柔道っぽい選手が活躍しているという事実に驚いたのだと思います。
大賀さんは異なる見解のようですが、柔道がそんな戦いにおいても有効だということを今まで考えたことがなく、実際のホイスの戦いを見る中でもう一度柔道をやりたいという気持ちがよみがえってきました。
(このあたり柔道とブラジリアン柔術がごっちゃになっています。)
で、すぐにネットで探せた新宿柔道会という高田の馬場にある新宿スポーツセンターで柔道を再開することになりました。当時25歳で若かったからか思いのほかブランクが影響せず、背負い投げ的な今では絶対にできそうにない技までもすぐに学生時代と同じ切れ味でできるようになりました。
そこでもうひとつ人生を変えた出来事がその年(2000年)の6月に行われたコロシアム2000での、
船木VSヒクソングレイシー戦です。
ここでのヒクソンの動きを見て、決意しました。
「柔道ではなく、グレイシー柔術(ブラジリアン柔術)をやらねば!」。
格闘技に詳しい友人NとWを伴って見学にいった道場が『大賀道場』、ではなく、
中井祐樹さんの『パレストラ池袋』でした。
その時にちょうど中井さんはムンジアル(世界大会)でブラジルに行かれており、代わりのインストラクターとして大賀さんが指導をしていました。
大賀さんは体重が60kgくらいで、見た目がなにしろ格闘家っぽくない朴訥とした感じなのですが、それが2倍ほどの体重があろうかという大きな選手を寝技で投げていた(スイープ)のを見て、「この人すげぇな!」と思わずに、「なんだかみんな弱いな!」でした。この感想が間違いだったことはすぐにわかったわけで・・・・・・。
結局パレストラに入門したのですが、何度か大賀さんのねわざワールドの練習に参加させていただいたり、その年の年末に柔術忘年会をやろうと確か大賀さんが音頭をとっていたやつに参加させてもらったりと細いお付き合いをしていました。
(昔は柔術帝國軍の掲示板で、忘年会の参加を募るくらいの規模だったんですね・・・。柔術界は。)
その後2004年、結婚に伴う引っ越しをした際に家の向かいに貼られていた大賀道場の会員募集を見て、「大賀さんが常設道場を出したとは聞いていたが、ここ(調布)だったんだ。大賀さんの人となりも知っているし家から近い道場に移籍しよう。」ということでパレストラを退会させていただいて、大賀道場に移りました。もう5年ですね。
今回、大賀さんが道場のサイトやブログで弊社のサイトへのリンクを貼って下さるということで、お返しに道場の紹介をしようと思っただけなのですが、そもそもどんな出会いだったのかなと思い出しているうちにずいぶん長くなってしまいました。
正直今は熱心な柔術家とはいえない状況ですがこれからも細く長く楽しんでやっていきたいと思います。
柔術は最高です!
そんなわけで京王線沿線にお住まいでちょっと体を動かしたいけど、フィットネスジムとかは長続きしなさそうだなと思う人はぜひ調布の大賀道場をのぞいて見てください。
いわゆる体育会的な雰囲気は一切なく社会人でも無理なくできます。
大賀さんがどんな人なのかは一言では説明できませんが(笑)、会員の多さと道場の雰囲気が人間性を物語っていると思います。
そんなこんなで大賀道場をよろしくお願いいたしますm(__)m
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ところで大賀道場とねわざワールドはなにが違うのかな?